福島県史料情報

福島県史料情報 第17号

『有功有害鳥獣調』

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『有功有害鳥獣調』
(福島県庁文書3101)

昨年は全国各地でツキノワグマの出没が多発し、福島県での捕獲頭数は437頭にも上った。これは長野・山形・新潟県に次いで全国4番目の数である。この原因は中山間地域における里山の荒廃や異常気象による餌となる木の実の減少などが考えられるが、生物多様性の観点から生態系への深刻な影響が懸念されるところである。
 ところで、いわゆる福島県庁文書のなかに『有功有害鳥獣調』(F3101)という表題の簿冊がある。この公文書は福島県勧業課作成のもので、分類は第一種農第二号、「調査済」「記帳済」「永久保存」の朱印が表紙や背表紙に捺されている。明治16年(1883)、福島県の勧業課は県下の各郡役所に対して農業上の有功鳥獣・有益鳥獣・有害鳥獣および猟具・方法についての調査を命じた。その調査項目は、鳥獣の名称・性質・利用・効能・被害物件・害の強弱・数の多寡・営巣の場所・繁殖期・去来期節・地方の慣習・将来の目的・駆除の見込など多岐にわたっており、鳥獣の分布を知る上で貴重な史料である。
 有益獣に分類された熊(ツキノワグマ)は、当時の県域では岩瀬・大沼・南会津・東蒲原の四郡での棲息が確認されているが、何れの郡でもその個体数は少なかった。熊胆は薬用、肉は食用、皮は褥に用いられたため有益獣に分類されていたのである。性質は獰猛で敏捷、諸木の若芽や実・蜂蜜などを好み、深山幽谷の穴や大木の虚空に棲んでおり、繁殖期は春先である。猟人が冬季に熊穴を探し、春になって穴から這い出たところを鎗や銃で仕留めたり、陥穽によって捕らえるという。なお、明治17年には第一種の『鳥獣猟ニ関スル制度慣行調』が作成され、福島県警察本部保安課へ引き継がれて保存されていた。これは本稿で紹介した簿冊の内容と密接に関連するものである。

(渡辺智裕)

漢籍と料紙

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虫に喰われた漢籍
(「晋書」佐藤庄吉家文書22)

以前にも述べた通り、同じ内容の漢籍でも、中国で出版されたものは「唐本」、日本のそれは「和刻本」と呼ばれ、区別される。両者の見分け方には幾つかの方法があるが、直感的に判りやすいのは、虫損(ちゅうそん)の多寡であろう。
 概して、前者は、後者に比べて虫喰いが少ない。これについては、日本の学問熱が虫にまで及んでいる証左であるとか、逆に、やはり本場の漢文には歯が立たないのだとする珍説があるが、むろん戯言である。
 二千年以上前の中国(前漢)で生み出された製紙技術は、『日本書紀』によると、飛鳥時代の頃に、朝鮮半島を経由して伝えられたという。日本製の紙は、その原料によって、楮紙(ちょし)・三椏紙(みつまたし)・雁皮紙(がんぴし)に大別され、なかでも楮紙は、原料の栽培や加工が容易なことから、江戸時代を通じて盛んに生産され、利用されてきた。
 そのため、日本で出版された漢籍には、楮紙(あるいは楮を多く含む料紙)に印刷されたものが多い。この紙は、繊維の毛足が長いため、紙としての強度や耐久性に優れる反面、虫に喰われやすいという弱点を持つ。
 これに対して、中国で出版された漢籍の料紙は、幼い竹を原料とした竹紙(ちくし)が主流である。薄手で、表面に美しい光沢があり、その上、虫にも喰われにくいという長所を有するが、折れなどの物理的な力には弱い。なかには、版心部(袋とじの部分)が裂けてしまっている唐本も存在する。
 このように、同じ漢籍といっても、印刷された地域によって料紙に違いがあり、そのことが、本の綴じ方などの取り扱い方法にも影響を与えている。これについては、またの機会に紹介することとしたい。

(山田英明)

菅野八郎が見た世界図

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上は『あめの夜の夢咄し』
(菅野隆雄家文書1、本文中の写真1)
下は「万国輿地全図」
(36×64cm、佐藤健一家文書124、写真2)

信夫・伊達両郡は蚕種・生糸の生産地であった。慶応2年(1866)信達世直し一揆は起こった。両郡の農民は幕府の蚕種・生糸新税に反対し、豪商の家々を打ち壊した。伊達郡金原田村(伊達市保原町)の菅野八郎は世直し一揆の頭取「世直し大明神」と見做されている。
 八郎は嘉永7年(1854)2月神奈川浦賀沖の黒船を見聞、4月海防策を幕府に上申し、5月『あめの夜の夢咄し』を著している。上申の経緯を詳述した同書には、写真1の世界図が掲載されている。世界各国は卵形の図中に描かれ、ほぼ中央に「大日本」を配置する。北極圏の国名は「女人国」「小人国」である。同書は江戸滞在の八郎が故郷に書き送ったものと考えられている。
 民間に広く流布した世界図には、1)楕円形世界図、2)両半球形世界図の2つの系統があった。1)は江戸時代初頭、イエズス会宣教師マテオ・リッチが北京で刊行した「坤輿万国図」の模写本である。天明5年(1785)頃、水戸藩の儒者長久保赤水は「改訂地球万国全図」を刊行。赤水作図の世界図は幕末まで広く普及し、多数の類本が作図された。2)は江戸時代の中頃、蘭学の隆盛とともに普及した世界図である。寛政6年(1794)頃洋風画家司馬江漢は「地球図」を、文化13年(1816)幕府天文方高橋景保は「新訂万国図」を刊行している。
 写真1は1)系統の世界図である。八郎は「委しくは、万国輿地全図をもとめて見給ふべし、」と述べており、写真1は赤水作図の改訂版、嘉永6年「万国輿地全図」の模写図であった。同図は当館佐藤家文書(伊達市霊山町、『養蚕茶話記』の著者佐藤友信生家)にも収められている(写真2)。江戸滞在の八郎が見た世界図は信夫・伊達両郡にも流布しており、江戸と両郡の民衆は刊行された同一の世界図から、世界像・世界観を共有していたことが判明する。

(阿部俊夫)

ふくしまの火山3

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聞き取り調査の記録
(部分、福島県庁文書1503)

 会津の名峰、磐梯山(1819メートル)は明治21(1888)年7月15日、噴火した。この噴火とそれに伴う山体崩壊は500名近い死者を出し、桧原湖や五色沼など裏磐梯の特徴的な風景を作った。
 当館で保管している「明治・大正期の県庁文書」には、『磐梯山噴火関係書類』『皇典講究所義納金書類』『長瀬川治水計画』など、磐梯山噴火に関する簿冊が19点含まれている。そのうち『磐梯山噴火事変取扱ニ関スル書類』(F―1503)は、噴火後第一報以降の福島県の対応を伝える史料である。
 内容は被災地各郡長からの被害報告、知事及び職員の被災地出張、政府への報告、磐梯山の地質調査、噴火状況の調査、堰き止められた長瀬川の状況報告などとなっている。
 その中に、被災者に聞き取りをした内容をまとめたものがある。
 磐梯山噴火口供進達之義ニ付上申
 本郡磐梯山噴火景況、近村被害者申立ヲ筆記セシメ候処、別紙之通ニ候条、此段及報告候也
 明治二十一年十一月七日
  福島県耶麻郡長瀬高龍人
  福島県知事 山田信道殿代理
  福島県書記官 永峰弥吉殿

 右の文書から分かるとおり、これは耶麻郡役所が調査し、福島県に報告したものである。噴火後3ヶ月を経た10月16日から23日ころにかけて、計23名の聞き取り調査を行い、耶麻郡書記汲田貞次郎が筆記した。聞き取り項目は、当時の気候・天気、山鳴り・地震その他前兆現象の有無、噴火時の様子、「山抜け」(山体崩壊)の状況、噴火後の地震の有無、などとなっている。
 前兆現象としては、地震の発生を証言した者が多い。その他、兎が東吾妻山へ逃げた、山鳴りがした、桧原川の魚が見えなくなった、例年より雪解けが早かったといった証言があるが、地震以外の証言は伝聞が多く、信憑性は高くない。
 むしろ本史料の重要性は当時の風説も含め、被災者の生の声を伝えている点にあると言えよう。

(轡田克史)

地域史研究会活動情報

小高史談会(南相馬市小高区)
 本会は、郷土の歴史についての調査研究することを目的として、昭和57年に当時の小高町の有志20名により設立され、現在は40名で活動している。
1.例会
 室内及び野外での調査研究による例会を、原則として月1回、担当者を決めて開いている。主として夏や冬は室内で、春や秋は史跡探訪等の、野外の活動をしている。
史跡探訪は、旧中村藩領内は勿論、県内外の各地を訪れ、時には1~2泊の研修旅行もしている。また、「はらまち史談会」と情報の交換をしたり、史跡等の探訪をすることもある。
2.「小高史談会誌」の発行
 昭和61年から2~3年毎に、研究の成果を会誌にまとめて発行し、現在第8号まで発行している。
3.講演会の実施
 年に一度教育委員会と共催で、一般市民を対象に実施し、本年で第9回になる。講師は主に地元出身の先生方で、本年は2月に東北学院大学の岩本由輝教授による「杉山元治郎と小高」を予定している。
4.文化財の保護活動
 相馬氏の菩提寺同慶寺にある歴代藩公の墓に標札を設置。また、金性寺境内に縁起案内板を設置するなどの活動を行っている。

(庶務 門馬一彦)

事務局 南相馬市小高区東町 3―69
会 長 宝玉 鼎
会 費 5000円
会 員 40名

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友の会の一年

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友の会の1シーン(信夫山散策)

平成18年度の「友の会」は、設立2年目を迎え、ますます充実した活動を行なっています。 友の会の1シーン(信夫山散策)
友の会の1シーン(信夫山散策)
 とくに今年度は、かねてより要望が強かった研修旅行を実施したほか、展示見学や友の会講座など、会員参加型のイベントに力を入れました。
友の会日記
・5月13日 役員会
・5月20日 総会
福島県文化会館視聴覚室(県文化センター南棟)にて、今年度の事業などについて審議しました。(出席者33名)
・6月25日 役員会
・8月6日 役員会
・9月9日 信夫山散策
信夫山を中心に、福島県歴史資料館の周辺を散策し、主に福島市春日地区の歴史について勉強しました。(参加者22名)
・9月22日 知事公館見学
昨年より一般公開がはじまった福島県の知事公館を見学し、福島県が所有する美術品などを鑑賞しました。(参加者32名)
・10月7日 研修旅行事前勉強会
研修旅行先である猪苗代・会津方面の歴史について勉強しました。(参加者17名)
・10月14日 研修旅行
猪苗代・会津方面の史跡や博物館を訪ね、福島県の歴史について勉強をしました。(30名参加)
・12月10日 「友の会」講座
福島県内に伝わる武芸について勉強をしました。(16名参加)
 「友の会」では、来年度も引き続き、精力的に活動し、福島県の歴史と文化に対する知識と理解を深めるとともに、会員同士の親睦をはかりたいと考えています。ぜひ、ご入会ください。


ふくしま文化遺産保存ネットワークの活動

ふくしま文化遺産保存ネットワークは、福島県に関する文化遺産(古文書・公文書・美術品・図書・民具・建築など)を保存し、後世に継承することを目的とする住民参加型のネットワークです。
 福島県は地質的に安定しているとされ、過去に大規模な地震に見舞われた経験がないためか、地震災害によって歴史資料が被害を受けるということに対する県民の危機感が薄いようです。実際、県内の史料保存機関(博物館や図書館・自治体史編纂室など)では、非常時における対応方法が決まっていないところが大半とのこと。万一大規模災害が発生した際には、かなりの混乱が生じることが予想されます。
 加えて、史料保存機関が保管している史料の多くは「未指定文化財」です。福島県では、「未指定文化財」を保護するための制度的枠組が存在しません。有事の際、これらはどのように扱われるのでしょうか。
 また県内でこれまで未整備だった、業態を越えた史料保存に関する連絡網の構築も急務です。
 そこで平成18年(2006)10月20日、当ネットワーク設立のはこびとなりました。当ネットワークでは、ホームページを用いたメンバー募集、メールマガジンによる情報提供を行なっています。
 配信する情報は、文化遺産の保存に関する各地域の取り組み、文化遺産の取り扱い方法に関する講習会の案内、展示公開に関する最新情報、各種シンポジウム等に出席したメンバーによるレポートなどとなっています。また将来的には、意見交換会や勉強会などを開催することにより、史料保存に対する意識の啓発や技術の向上を図っていきたいと考えています。