旧湯野村文書(福島市)
【その一】
伊達郡湯野村の村政史料などの内、近世文書453点を収録した。湯野村は、はじめ会津領、慶長6年出羽米沢領、同8年米沢藩領、寛文4年幕府領(福島代官所支配)、延宝7年福島藩領、天和2年幕府領(桑折代官所支配)、貞享3年福島藩領、元禄13年幕府領、同15年福島藩領、寛政4年から三河刈谷藩分領(湯野陣屋支配)、村高は「天保郷帳」に1843石余とある。山論・水論などの裁許絵図・裁許状・訴願文書などが数多く含まれている。同文書内の福島柳町光白屋関係史料については、末尾に収録した。
『福島県歴史資料館収蔵資料目録』第46集所収mokuroku046.pdf
【その二】
伊達郡湯野村に伝わった村政史料などの内、近世文書1点と近現代文書556点(503件)を収録した。近代以降の湯野村は、はじめ刈谷藩(のち刈谷県)に属し、旧福島県を経て明治9年(1876)に福島県に所属。同年に四箇村・北原村を合併し、同村の一部が東湯野村に編入される。明治22年には東湯野村と合併するが、明治34年に東湯野村を分村、昭和15年(1940)湯野町となる。昭和30年に飯坂町ほか4ヶ村と合併して飯坂町となり、同町の大字となった(のち飯坂町湯野)。主な史料として、明治期の公示・令達をはじめとした公文書や、町村合併に伴う引継書類、官有山・入会山の争論に関する史料が多く遺されている。同文書内の福島柳町光白屋関係史料については、末尾に収録した。
『福島県歴史資料館収蔵資料目録』第47集所収mokuroku047.pdf