円谷重夫家文書(西白河郡矢吹町)
【その一】【その二】
寛永4年(1627)白河藩領であった石川郡明岡村庄屋文書の一部(619点)である。明治19年(1886)明岡新田村を合併して明新村となった。阿武隈舟運関係の文書など重要な文書も含まれる。『矢吹町史資料所在目録』第1・4集にも収録されている。
『歴史資料館収蔵資料目録』第17集所収
【その三】
寛永4年(1627)から白河藩領となった石川郡明岡村の庄屋文書。円谷茂平らの請願により、幕末に阿武隈川の明岡河岸は物資交流の拠点として営業を開始している。近世文書238点、近代文書90点、合計328点を収める。特に、明治期に至る舟運関係の文書は重要である。
『福島県歴史資料館収蔵資料目録』第34集所収