近藤良平家文書(東白川郡塙町)
初め常陸佐竹領、慶長7年幕領、元和8年から棚倉藩の支配下におかれた 常世北野村庄屋文書。
とくに古くから鍛冶業が盛んで、 原料の銑鉄を南部領から常陸国平潟港へ陸揚し、平潟街道を駄送して 生産していた。その販路は関東一円にまで広がる。
総点数436点、うち近世文書247点、近代文書189点である。 このなかに近世・ 近代あわせて53点の鋳物・鍛冶業関係文書がふくまれる。
「歴史資料館収蔵資料目録」第12集所収
初め常陸佐竹領、慶長7年幕領、元和8年から棚倉藩の支配下におかれた 常世北野村庄屋文書。
とくに古くから鍛冶業が盛んで、 原料の銑鉄を南部領から常陸国平潟港へ陸揚し、平潟街道を駄送して 生産していた。その販路は関東一円にまで広がる。
総点数436点、うち近世文書247点、近代文書189点である。 このなかに近世・ 近代あわせて53点の鋳物・鍛冶業関係文書がふくまれる。
「歴史資料館収蔵資料目録」第12集所収