堀江正樹家文書(東京都新宿区)
堀江家は伊達郡梁川町に居住し、同郡東根郷の村々を差配する信達四郡役・割元役を勤めた。
割元役は享保18年(1733)廃止となるが、従来からの由緒により、その役割は幕末まで慣行として温存されている。
近世初頭の新田開発・堰普請・商人役の文書、代官所提出の由緒書などは東根郷における堀江家の諸活動を把握する上で、きわめて重要である。近世文書765点、近代文書450点を収録した。
「福島県歴史資料館収蔵資料目録」第35・47集所収mokuroku047.pdf
堀江家は伊達郡梁川町に居住し、同郡東根郷の村々を差配する信達四郡役・割元役を勤めた。
割元役は享保18年(1733)廃止となるが、従来からの由緒により、その役割は幕末まで慣行として温存されている。
近世初頭の新田開発・堰普請・商人役の文書、代官所提出の由緒書などは東根郷における堀江家の諸活動を把握する上で、きわめて重要である。近世文書765点、近代文書450点を収録した。
「福島県歴史資料館収蔵資料目録」第35・47集所収mokuroku047.pdf