調査研究コラム

#081 国土地理院の基盤地図情報を利用した古墳測量図の作成 青山 博樹

1 はじめに

 国土地理院がインターネットで公開している「地理院地図」は、従来の等高線図のほかに、陰影図、傾斜量図によって地形を表示する機能が付与され、より詳細な地形を地図上で読み取ることが可能になった。この機能は、古墳や城館跡など遺跡の探索にも有効で、実際にこれを用いた古墳などの発見があいついでいる。
 また、インターネットに公開されているフリーソフト「Vector Map Maker」(森田2009-2019)は、国土地理院が公開している基盤地図情報などをもとに等高線図を作成する機能を備え、これを使用することで古墳や城館跡の測量図を現地で作業せずとも作成することが可能である。
 筆者は、この方法によって等高線図を作成できることを当財団の舘山聡氏の教示によって知り、いまだ測量調査の行われていないいくつかの古墳について等高線図の作成を試みた。そして、十分とはいえないまでもある程度の精度をもつ図が作成できることがわかった。
 小文では、このような方法で作成した古墳の等高線図を示し、それが考古資料としても活用できることを述べてみたい。

2 精  度

 国土地理院の基盤地図情報は、座標値が5mメッシュで網羅されている。したがって、これをもとにして作成する図の測点の間隔も5mメッシュということになる。
 図1は、福島県会津若松市会津大塚山古墳の測量図を比較したものである。左は、現地における測量で作成されたもので、等高線の間隔は25㎝である(会津大塚山古墳測量調査団1989)。中と右はVector Map Makerで作成した図で、等高線の間隔はそれぞれ25㎝と50㎝である。
 これらを比較すると、5mメッシュの基盤地図情報をもとにした等高線図の精度がどの程度のものかがわかる。現地で測量した等高線図に比べると精度の点では低いものの、前方後円墳である会津大塚山古墳の墳形をある程度とらえており、後円部後端をめぐる周溝などもみてとれる。
図1会津大塚山古墳.jpg

3 基盤地図情報から作成した古墳の等高線図

 以下では、上述の方法によって作成した古墳の等高線図を示す。いずれもその存在が周知されながら、これまで測量調査が行われたことがない古墳である。等高線の間隔は50㎝とした。

(1)藤橋古墳(図2)

 福島県浪江町に所在する。近傍には全長36mの前方後方墳を含む本屋敷古墳群、全長50mの前方後円墳である堂の森古墳、同約40mの狐塚古墳が所在し、これらと一つの首長系譜を形作る。
 『浪江町史』(石川1974)では前方後円墳、『相馬市史』(西1983)では前方後方墳とされるように、前方後円墳説と前方後方墳説の二説がある。
 1974年の『浪江町史』では墳丘が「半壊状態」と記される。1984年の時点では前方部が削平されていたとされ(石川1985)、挿図には前方部が西に向けて図示されている。
 現状では、現存する墳丘の北側を除いた東西と南側に平坦面があって、そのうち西側の平坦面がもっとも広く、前方部はやはり西側にあったと考えられる。
 現存する墳丘は一辺30m弱の方墳状で、Vector Map Makerによる作図でも墳丘形態は方形にみえる。よって、墳形は前方後方墳で、削平された前方部を含めると全長は50m前後と思われる。 
図2藤橋古墳.jpg

(2)宮ノ下古墳(図3)

 福島県福島市に所在する。以前、このコラムでとりあげたことのある古墳である(青山2017)。
 作図したところ、主丘は円形(楕円形)であることから、全長60mほどの前方後円墳の可能性が高い。
図3宮ノ下古墳.jpg

(3)観音森古墳(図4)

 福島県喜多方市(旧塩川町)に所在する。前方後方墳であることが指摘されながら(辻1992、木本2013)未測量である。近傍に、田中舟森山古墳、深沢古墳などの前期古墳があり、当古墳を含めて首長系譜をなす。
 この測量図によって、前方部を東側に向けた前方後方墳であること、前方部がきわめて低いことのほか、後方部が東西方向にやや長いことが読み取れる。前方部前端の位置が不明瞭であるが、全長は6070mほどと思われる。
 当古墳に伴う遺物は知られていないが、前方部が低平であるという特徴は、古墳時代前期でも古い古墳にみられる属性で、当古墳の築造時期を示唆する。
図4観音森古墳.jpg

(4)茶臼森古墳(図5)

 福島県喜多方市(旧塩川町)に所在する。上述の田中舟森山、深沢、観音森の各古墳の近くにあって同一の首長系譜をなすと考えられるが、これまであまり注目されてこなかった古墳である。
 以前に現地を踏査した際には、円丘の東側に短い突出部がつく造り出し付き円墳あるいは帆立貝形前方後円墳ではないかと考えていた。ここに示した等高線図でも、円丘の東側に突出部が確認できる。全長は40mほどである。
 近傍に所在する大型古墳がいずれも前方後方墳か方墳である一方で、当古墳が円丘系の墳丘をもつことはその築造時期を示唆するものと思われる。当古墳に伴う遺物は知られていないが、近傍の他の古墳がいずれも前期古墳であることを勘案すれば、当古墳はそれに後続して築造された可能性がある。
図5茶臼森古墳.jpg

(5)石の梅古墳(図6)

 宮城県大崎市(旧鳴子町)に所在する。全長約60mの前方後方墳とされている(氏家19741984)が、現在は前方部を確認することができない。現状は、径40m弱の円丘である。当古墳に伴う遺物は確認されていない。以前に行った現地踏査の際には、墳丘で弥生土器を採取した。
図6石の梅古墳.jpg

(6)長辺寺山古墳(図7)

 茨城県桜川市(旧岩瀬町)に所在する。全長120mほどの規模をもつ前方後円墳であることが指摘されながら(西宮1974)、未測量である。図では、後円部斜面に幅の広いテラス状の緩斜面がめぐることが確認できる。
図7長辺寺山古墳.jpg

4 さいごに

 以上、いくつかの古墳について作成した等高線図を示した。
 現今の機器を用いて現地で行う測量調査と比較すると精度の点では及ばないが、一定以上の規模をもつ古墳について墳形をうかがうことのできる程度の精度を有し、資料化されていない古墳の測量図を簡便に作成できること、広範囲にわたる等高線図の作成が可能であること(図8)など、有用性は高い。
図8会津大塚山古墳.jpg
 現時点では、基盤地図情報が未整備の区域があり、そのエリアに所在する未測量古墳については等高線図を作成することができずにいる。それらについては、その整備をまって図化を試みることにしたい。
 小文を書くにあたって、井 博幸氏、稲田健一氏にご教示をいただきました。
 舘山聡氏には、Vector Map Makerの存在、その使用方法についてご教示をいただきました。文末ではありますが、記して感謝申し上げます。
図9本文中で取り上げた古墳.jpg

 

引用・参考文献

会津大塚山古墳測量調査団 1989 『会津大塚山古墳測量調査報告書』

青山博樹 2017 「福島盆地の前期古墳」公益財団法人福島県文化振興財団遺跡調査部ホームページ調査研究コラム https://www.fcp.or.jp/iseki/column/350

石川正義 1974 『浪江町史』浪江町教育委員会

石川隆司 1985 「請戸川・高瀬川流域における古墳文化の展開」『本屋敷古墳群の研究』法政大学

氏家和典 1974 「東北における大型古墳の問題」『東北の考古・歴史論集』平重道先生還暦記念会

氏家和典 1984 「宮城の古墳」『宮城の研究』1 考古学篇 清文堂

木本元治 2013 「古墳時代の始まり」『塩川町史』第1巻 通史編Ⅰ 喜多方市

辻 秀人 1992 『図説 福島の古墳』福島県立博物館

西 徹雄 1983 「古代篇」『相馬市史』1 通史編 福島県相馬市

西宮一男 1974 「長辺寺山古墳」『茨城県史料』考古資料編 古墳時代 茨城県

森田伸二 2009-2019 『VectorMapMaker』(Windows用地図作成ソフトウエア)


図出典
図1~9 国土地理院の基盤地図情報をもとにVectorMapMakerを用いて作成した

20207月3日脱稿)