#86 竪穴住居について 香川愼一
1 はじめに
私も参加した三春ダム関連遺跡発掘調査では、縄文時代中期末葉を中心とする集落遺跡がいくつも確認されました。同時期の竪穴住居は、複式炉と呼ばれる長大な炉と主柱の位置関係に規格性を見て取れるのが特徴です。炉の大きさから必然的に規格的な主柱配置になったと考えられなくもないですが、今回はこの竪穴住居の柱配置について少しお話したいと思います。
2 縄文時代の竪穴住居
図1-1~3(『三春ダム関連遺跡発掘調査報告4・8』)は、平面形状が円形の竪穴住居跡です。1・3がほぼ同時期で、2が後出です。1・2は4本主柱で、いずれも壁側に炉が偏在しています。3は、3本の主柱を結んだ二等辺三角形の中線延長上に複式炉が位置しており、主柱と炉が線対称の位置関係になっています。
図1 縄文時代の竪穴住居跡 (三春ダム関連遺跡発掘調査)
3 主柱配置原理
ところで、主柱と炉の位置関係に内在する原理を問うものに都出比呂志氏が説く「主柱配置原理」(1989都出)があります。
都出氏の主柱配置原理は、もともと弥生時代の竪穴住居を対象にしたもので、西日本の「求心構造」と東日本の「対称構造」に分かれます。求心構造は、床面の中央を中心点とする円周上に主柱を配置し、床面の中央に炉を設けるのが特徴です(図2-B1・B2)。
一方、対称構造は、中心軸の両側に主柱を配置し、その中心軸上の壁寄りの位置に炉を設けるのが特徴です(図2-A1・A2)。なお、都出氏は、東日本の弥生住居の対称構造を縄文時代からの「根強い残存とも考えられる。」としています。
先に示した4本主柱の図1-1・2は、いずれも炉が壁側に偏在することから、その主柱配置原理は対称構造と言えるのではないでしょうか。縄文時代の炉が必ずしも偏在するとは限りませんが、全体的な流れとして炉の位置に注目することは意味のあることと思います。
図2 主柱配列の3類型
なお、主柱配置原理は、弥生時代以降に渡来した集団と在来集団との地域差を論じた「二重構造モデル」(1995埴原和郎)に通じるものがあるような気がします。また現在では、古人骨のDNA分析により、分子レベルで日本人の起源等を探る研究が進んでいます(2016神澤、2017斎藤、2019篠田)。
4 おわりに
DNA分析からも縄文時代は大陸との往来がそれほどではなく、縄文人は独自の進化をとげた集団の可能性が指摘されています。検証は難しいと思われますが、縄文人の独自性と竪穴住居の対称構造が結びついているのかもしれません。ちなみに竪穴住居の復元でよく参考にされる近代の北方民族の竪穴住居は、土葺き屋根の中央に天窓があり、その真下に炉を設けた4本主柱の求心構造が多いようです(1998浅川編)。
小さな柱穴といえども侮れません。しかし、発掘調査の現場で無数の小穴に遭遇すると途方に暮れてしまうこともありますが…。
【引用・参考文献】
1989 都出比呂志 『日本農耕社会の成立過程』岩波書店
1991 福島雅義ほか「仲平遺跡(第3次)」『三春ダム関連遺跡発掘調査報告4』福島県教育委員会
1995 埴原和郎 『日本人の成り立ち』人文書院
1996 福島雅義ほか「越田和遺跡」『三春ダム関連遺跡発掘調査報告8』福島県教育委員会
1996 宮本長二郎 『日本原始古代の住居建築』中央公論美術出版
1998 浅川滋男編 『先史日本の住居とその周辺』同成社
2016 神澤秀明 「縄文人の核ゲノムから歴史を読み解く」『つむぐ』JT生命誌研究館
2017 斎藤成也 『日本人の源流』河出書房新社
2019 篠田謙一 『新版 日本人になった祖先たち』NHK出版