調査研究コラム

#054 ずれているカマドの煙突  丹治 篤嘉

この調査研究コラムを読んでいるみなさんの中にも、子どもの頃、砂場遊びで山をつくり、そこにトンネルを掘った経験がある方も多いことと思います。山を挟んで友達と掘り進め、壁が崩れて手が当たった瞬間、「トンネル開通!」と喜んだものです。ただ、このトンネル工事、いつもうまくいくわけではありません。両側から掘ったトンネルがずれてしまい、なかなか開通に至らないこと、ありませんでしたか?。今回は、私が調査に携わった発掘調査の際にも、そんな子どもの頃の記憶を思い出すことがあったというお話です。

 それは、平成17年度に実施した南相馬市鹿島区に所在する割田A遺跡の発掘調査です。図1は、割田A遺跡で見つかった隣り合う2軒の平安時代の家の跡について、真上から見た様子を記録したものです(註1)。3号住居跡と4号住居跡と名付けて調査を行いました。

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図1 割田A遺跡3号住居跡・4号住居跡

3号住居跡・4号住居跡は、いずれも竪穴住居跡と呼ばれる、地面を掘り窪めてつくる構造の家です。家の一角には、カマドがつくりつけられています。図2は、カマドが使用されている状況をイラストにしたものです(註2)。カマドは、いろりと異なり、火を焚く場所がドーム状に覆われていています。そのため、いろりより熱効率がよいという利点があります。また、火を焚く時に出る煙りは、煙道と呼ばれるトンネルを通って煙突(煙出し)から外に出しています。

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図2

カマドのイラスト(作画:丹治篤嘉)

丘陵につくられた竪穴住居跡では、この煙道と煙突をつくる都合上、標高が高い方にカマドをつくるのが一般的です。丘陵南向きの斜面に位置する割田A遺跡3号住居跡・4号住居跡でも、やはり標高の高い方にカマドがあります(図1)。

 割田A遺跡3号住居跡(図3)では、最初に北壁でも東寄りにカマドがつくられましたが(旧カマド)、その後に壊されて、北壁の中央につくり替えられました(新カマド)。

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図3 割田A遺跡3号住居跡のカマド

旧カマドは、家の外に延びる煙道と煙突しか残っていなかったのですが、この煙道と煙突に注目です。大多数のカマドは、割田A遺跡3号住居跡の新カマドのように、煙道の先端部の真上に煙突がつくられるのですが、同住居跡の旧カマドは、なんか変?、です。家の内部から掘ったトンネル=煙道は、煙を出す煙突の箇所よりもさらに約50cmも奥まで続いて、そこで行き止まりとなっています。排煙という機能を考えた場合、不必要な空間といえるでしょう。そして、なんと、煙突の部分が東側にずれているではありませんか!。もしや、施工ミス?。

 煙道をつくる際に、砂場遊びのように二人で一緒に掘り進めたのか、一人で片方ずつ掘ったのかはわかりません。いずれにせよ、想定していたよりもずれてしまい、順調なトンネル開通とはいかなかったようです。当時の人も、「あれっ?、そろそろつながるはずだけど…。」と、不安になりながら作業をし、ずれたことがわかると、「しまった、ずれてしまった!。」などと思ったのかもしれません。私は、割田A遺跡の調査をしながら上記のように想像を膨らませ、思わずニヤッと笑みを浮かべてしまいました。

 しかし、結構ずれていますね。図4には、福島県内で見つかった、煙突の位置がずれているカマドの事例(※いずれも平安時代)をいくつか示しました。これらと比較しても、割田A遺跡3号住居跡の煙突は、ちょっとずれがひどいな~。

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図4 煙突がずれている事例

なお、図4の事例については、周辺の地形がわかる図は省略しましたが、いずれも丘陵につくられている点で共通しています。このことから、煙道と煙突の位置がずれるのは、丘陵という立地に原因があるのではないかと思われます。丘陵では、平地の場合と比べると、煙突を深く掘らなければなりません。また、斜面での作業は、平衡感覚が少し狂ってしまうのかもしれません。このような要因が、煙道と煙突のずれを引き起こすのでしょう。

 ところで、割田A遺跡の4号住居跡のカマド(図5)を見ると、煙道は煙突より奥までは掘っていませんが、3号住居跡の旧カマドと同様、煙突の位置が東側にずれています。

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うーん、そっくりですね。あまりにもそっくりなので、もしかしたら、これらのカマドは同じ人がつくったのかもしれません(註3)。私は、「2回も失敗したのか~。」と思う一方、煙道は奥まで掘り過ぎていないので、少しは改善されているのかなとも思いました。

 割田A遺跡3号住居跡の新カマドは、これらの失敗を糧にして、きれいに真上に煙突をつけることができたのでしょう。煙道と煙突が、ずれることなくつながった時には、「やったー!、きれいにつながった!。」と万歳して喜んだのかもしれません。

(註1)福島県教育委員会 2007 「割田A遺跡」『原町火力発電所関連遺跡調査報告Ⅹ』福島県文化財調査報
    告書第439集
(註2)このイラストでは、屋根などの建築部材は、省略しています。
(註3)割田A遺跡3号住居跡・4号住居跡は、本稿で述べたカマドの煙道と煙突の類似以外にも、カマドの天井
    部を支える基礎構造(カマド袖)、住居跡を取り囲む溝(外周溝)、家から外に延びる溝(外延溝)、と
    いった住居跡の構造にも共通点が指摘できます。このことから、住居跡の構築にあたっては、何らかの関
    連を考えるのが自然といえるでしょう。なお、外周溝や外延溝について詳しく知りたい方は、私が以前書
    いた調査研究コラム http://www.fcp.or.jp/test/iseki/column/595 や、福島県文化財センター
    白河館の研究紀要に書いた原稿(丹治篤嘉2013「南相馬市割田遺跡群における竪穴住居跡の特徴」『福
    島県文化財センター白河館研究紀要2012』、
    http://www.mahoron.fks.ed.jp/kiyou/pdf/2012_4.pdf)をご参照ください。

【参考文献】
福島県教育委員会 2002 「堂平F遺跡」『福島空港・あぶくま南道路遺跡発掘調査報告13』福島県文化財調査
             報告書第395集
福島県教育委員会 2003 「栗木内遺跡」『福島空港・あぶくま南道路遺跡発掘調査報告14』福島県文化財調査
             報告書第406集
福島県教育委員会 2011 「白子下C遺跡」『常磐自動車道遺跡調査報告66』福島県文化財調査報告書第479集

【挿図出典】
図1…註1文献より転載・一部改変して作成
図2…筆者作成
図3…註1文献より転載・一部改変して作成
図4…上記の参考文献に記した各報告書より転載・一部改変して作成
図5…註1文献より転載・一部改変して作成