#050 ゼーゲル式を用いた炉壁成分値の解析 門脇 秀典
1.はじめに
前回の研究コラムで国指定史跡「横大道製鉄遺跡」(南相馬市小高区)で鉄生産が行われた大きな要因は、「粘土」であると述べた(#027;「羽口が装着された炉壁について」、20150305)。製鉄には第一に原料となる「砂鉄もしくは鉄鉱石」、第二に燃料となる「木炭」、第三に製鉄炉の炉材である「粘土(釜土)」が不可欠である。これに加え、炉環境管理や送風などの「技術」が成否を左右することはいうまでもない。
さて、今回は粘土の溶けやすさについて考えてみたい。先の福島市立子山で実施された製鉄実験(平成28年6月25日~26日)の準備中、村下(某調査課長)より「炉壁が溶けて鉄滓が流れ出るように、粘土を調整するように」との指示があった。一般に、耐火度を下げて、塩基性成分を増やせば溶けやすくなるだろうと考えた。実は2年ほど前の製鉄実験で、粘土にライム(CaO)を数%混ぜて炉壁を作ったことがあったが、耐火度が下がる一方で満足な結果は得られなかった。
今回、改めて横大道製鉄遺跡の炉壁成分を見直すと、シリカ(SiO2)とアルミナ(Al2O3)の比が一定ではないかと思うようになった。そこで、この比を用いた先行研究をあたると、「ゼーゲル式」という19世紀の基礎研究にたどりついた。
2.ゼーゲル式とは
「ゼーゲル式」は釉薬の分野では必ず用いられる公式みたいなもので、原理はそれほど難しくない。まず、粘土の成分を塩基性酸化物(アルカリとアルカリ土類)、中性酸化物(アルミナ)、酸性酸化物(シリカ)の三つに分類し、それぞれの酸化物をモル比(原子の数)で表す。次に塩基性酸化物のモル比の和を1に換算して、塩基性酸化物に対する中性酸化物の比、塩基性酸化物に対する酸性酸化物の比をそれぞれ求める。たとえば
というように示されるのが「ゼーゲル式」である。ここで得られた中性酸化物と酸性酸化物の比が釉薬(透明釉・マット釉・乳白釉など)の性質を分類するものと言われている。
これを炉壁のような耐火物で応用すると、中性酸化物および酸性酸化物の比が小さければ小さいほど、粘りが少なく溶けやすくなり、逆に大きければ大きいほど粘りが増し、溶けにくいと予想できる。
表1にSiO2(66.2%)Al2O3(19.0%)…の炉壁のゼーゲル式計算例を示す。ここで塩基性酸化物に対する酸性酸化物の比13.56、塩基性酸化物に対する中性酸化物の比2.29を得る。
表1ゼーゲル式計算例
3.考察
ゼーゲル式の計算を出土資料の分析値に対して行った結果を、図1~4の散布図に示す。
(1)横大道製鉄遺跡(『常磐自動車道遺跡調査報告60』)
図1は横大道製鉄遺跡の出土炉壁の成分比である。まず、地山上層のLⅣ粘土(黄褐色粘土)と地山下層のLⅤ粘土(灰白色粘土)を結んだ線上に、炉壁のプロットが並ぶ。これはいずれかの粘土もしくはその中間的な粘土を用いていたことを示す。特に9世紀前半の箱形炉(1号廃滓場跡)出土炉壁はLⅤ粘土と比較的近い位置にあり、ほぼ同質と考えてよい。これはCaO-Na2O-K2Oの成分値の比率も近く、LⅤ粘土を用いて箱形炉の炉壁を構築していたと考えてよいだろう。
これより、ややLⅣ粘土よりにあるのが8世紀後半の竪形炉の炉壁資料である。横大道製鉄遺跡では竪形炉が6基見つかっているが、それぞれ炉壁の積み上げ方が異なる。レンガ状に積み上げるものやワラスサを多量に入れて積み上げるものなどの違いがある。にもかかわらず、基質となる粘土は大きな差がなく、LⅣ粘土よりLⅤ粘土に近い成分のものを選択していたと考えられる。
一方、9世紀中葉から後半の箱形炉(10号製鉄炉跡)は、前2者から大きく離れて、LⅣ粘土に近い位置にあり、ほぼ同質と判断する。これにより横大道製鉄遺跡では9世紀中葉頃に、炉壁に用いる粘土に大きな変化があったとみるべきだろう。ゼーゲル式の考え方に基づくと、塩基性酸化物に対する中性酸化物の比、また酸性酸化物の比のそれぞれが小さいほど粘土は溶けやすく、その逆は溶けにくいという。これをあてはめれば、9世紀中葉を境に溶けやすい炉壁から溶けにくい炉壁に変化したとみられる。
図1横大道製鉄遺跡出土炉壁の成分比
(2)長瀞・大船迫A遺跡(『原町火力発電所関連遺跡調査報告Ⅴ・Ⅵ』)
図2は金沢地区製鉄遺跡群(南相馬市原町区)の長瀞遺跡・大船迫A遺跡から出土した炉壁の分析値をゼーゲル式で計算し、プロットしたものである。7世紀後半(金沢地区製鉄炉編年Ⅰ期)から8世紀前半(同Ⅱ期)、8世紀後半(同Ⅲ期)、さらに9世紀前半(同Ⅳ期)の製鉄炉から出土した炉壁については、ほぼ同じ帯域に分布している。これを先ほどの横大道製鉄遺跡例と比べると、溶けやすい炉壁のグループのプロットとほぼ重なる。
一方、9世紀中葉から後半の箱形炉(同Ⅴ期)から出土した炉壁のプロットは、大きく離れて溶けにくい側にあり、これも横大道製鉄遺跡例と同じ変化といえる。今後、金沢地区製鉄遺跡群の別の遺跡でも検証を進めて、時期的な変化であるのか、地点(遺跡)や地形区分ごとに成分値に変化があるのかは確認を要する。
図2金沢地区製鉄遺跡群出土炉壁の成分比
(3)割田地区製鉄遺跡群(『原町火力発電所関連遺跡調査報告Ⅹ』)
図3は割田地区製鉄遺跡群(南相馬市鹿島区)の割田C・E・H遺跡から出土した炉壁の分析値をゼーゲル式で計算し、プロットしたものである。これをみれば、4つのグループに明瞭に分かれている。9世紀前半の割田E遺跡竪形炉のプロットは、ややばらつきがあるが溶けやすい側にあり、9世紀中葉の他3者は溶けにくい側にある。他3者もそれぞれの製鉄炉が位置する地点で採取できる粘土が違うためか、散布図上ではそれぞれで異なる分布を見せる。この結果は、割田地区製鉄遺跡群の報告書の考察でも、別の解析方法で粘土成分が3種に分かれることを指摘している。今回は別の方法で検証することにより、これを追認できたとともに、割田H遺跡の箱形炉資料については、踏みふいごがないタイプ(2・5・8号製鉄炉跡)の炉壁と踏みふいごがあるタイプ(7・11号製鉄炉跡)の炉壁では成分値が分かれる可能性が指摘できる。
以上、割田地区製鉄遺跡群の炉壁成分値からは、9世紀中葉を画期とする時期的な変化と地点(遺跡)間の粘土成分の違いを同じ散布図上で読み解くことができる。
図3割田地区製鉄遺跡群出土炉壁の成分比
(4)大清水B・沢入B遺跡(『常磐自動車道遺跡調査報告71』)
図4は大清水B・沢入B遺跡(相馬郡新地町)から出土した出土した炉壁の分析値をゼーゲル式で計算し、プロットしたものである。結論を述べると9世紀前半の炉壁資料(大清水B遺跡2・3号製鉄遺構・沢入B遺跡1号製鉄遺構)は、溶けにくい側にプロットされるのに対し、9世紀中葉の炉壁資料(大清水B遺跡1号製鉄遺構)は溶けやすい側にある。つまり、これまでの遺跡例とはまったく逆の結果が得られたことになる。
一方、大清水B遺跡1号製鉄遺構の炉壁のプロットと灰白色粘土(LⅥe粘土)のプロットがほぼ同じ位置にあり、同質と判断できる。このことは、同遺跡報告書の結論を追認している。
図4大清水B・沢入B遺跡出土炉壁の成分比
4.まとめ
行方郡内(現南相馬市)の遺跡(横大道・金沢地区・割田地区製鉄遺跡)では、9世紀中葉頃に炉壁の粘土成分の変化がある。具体的には溶けやすい粘土から溶けにくい粘土へと変換する。これは成分値に限らず、9世紀後半にかけての時期に炉の構築方法や混和材(ワラスサから砂粒へ)、さらには羽口の装着本数や装着角度などの変化と関係があるとみているが、このことは別稿としたい。
一方、相馬郡内の製鉄遺跡(大清水B・沢入B遺跡)は、今回の検討では2遺跡のみを取り上げたので結論的なことはいえないが、行方郡の遺跡とはまったく逆の結果であった。ゼーゲル式を用いた解析が炉壁などの粘土成分の評価に有効であることは本論をもって確認できたので、今後は他の相馬郡内の製鉄遺跡、例えば武井地区製鉄遺跡群などの炉壁データの再評価を進めたい。
【引用文献】
・財団法人福島県文化センター編1995『原町火力発電所関連遺跡調査報告Ⅴ』
・財団法人福島県文化センター編1996『原町火力発電所関連遺跡調査報告Ⅵ』
・財団法人福島県文化振興事業団編2007『原町火力発電所関連遺跡調査報告Ⅹ』
・財団法人福島県文化振興事業団編2010『常磐自動車道遺跡調査報告60』
・公益財団法人福島県文化振興財団編2015『常磐自動車道遺跡調査報告71』
・門脇秀典2015「羽口が装着された箱形炉の炉壁について」『森浩一先生に学ぶ(同志社大学考古学シリーズ
Ⅺ)』