#033 歴史の中の温泉(1) 枝松 雄一郎
私は、個人的に温泉が好きなのですが、私に限らず日本人は、温泉が大好きな民族だと言われています。
では、いつごろから日本人は温泉と関わってきたのか?という疑問が昔からあったので、自分なりに調べたことを数回に分けて書いてみたいと思います。
まず最も古い温泉に関する記録といわれているのが、「伊予国風土記」にある聖徳太子が、現在の愛媛県松山市にある道後温泉を訪れたという記録です。ただし「伊予国風土記」の原本は伝わらず、わずかに逸文という形態で残っているにすぎません。
日本最初の公式な歴史書である「日本書紀」にも、歴代の天皇が日本各地の温泉に行幸されたことが書かれています。この天皇が温泉に行幸された目的は、現在で言う単なる観光・療養といった意味合いではなく、「湯垢離(ゆごり)」という宗教的行事が主な目的だったと考えらています。「垢離」とは神仏に祈願するために心身を水で浄めることです。
また、大化の改新後の658年、孝徳天皇の皇子である有馬皇子が、斉明天皇と中大兄皇子(のちの天智天皇)に「牟婁(むろ)の湯」への行幸を勧め、その間に謀反を企てたと言われています。この牟婁の湯は、日本書記にも登場し、現在の和歌山県西牟婁郡白浜町にある白浜温泉だと考えられています。
その他、有名な戦国武将・武田信玄は領内であった山梨県や長野県に「隠し湯」と呼ばれる多くの温泉を持ち、将兵の体を癒したりしました。
豊臣秀吉は、大火や戦乱の影響で衰退していた現在の兵庫県神戸市にある有馬温泉に手厚い保護と援助を行い、再興に努めました。秀吉は、有馬温泉三恩人の一人とまで呼ばれるようになり、現在まで有馬温泉には豊臣秀吉にまつわる史跡やゆかりの品々が残されています。
わが福島県内では、1689年に俳人・松尾芭蕉が「奥の細道」の中で、福島市内の飯坂温泉に立ち寄った際の記述を残しています。芭蕉は、奥の細道において「飯坂」のことを「飯塚」と記し、残念ながらあまり好意的に記述していません。
画像1 飯坂温泉
画像2 松尾芭蕉像
このように歴史上の有名な人物と温泉の関わりを簡単にご紹介しただけでも、昔から日本人と温泉には深い関わりがあったことが分かります。
次回以降は、温泉の遺跡が発掘調査された事例等にもふれていきたいと思っています。