調査研究コラム

#011 鋳型からみたガラス小玉の製作方法について  福田 秀生

1.はじめに
 我が国において発掘調査で出土するガラス製遺物は,古くは縄文時代晩期頃まで遡るとされる(1)。

 多くは弥生時代から古墳時代にかけての墳墓など,墓に遺骸とともに納められた副葬品(ガラス小玉・勾玉を連ねた首飾りや釧(くしろ)と称される腕輪などの装身具)として出土する。古墳時代後期以降はガラス製品の出土量が増えるだけでなく,首飾りなどの装身具以外に,正倉院御物として著名な白瑠璃椀や仏像の冠など金銅製品にちりばめられる飾りの一部として用いられている。
 仏教の伝播をはじめとするアジア地域との広範な国際交流と関連して,ガラス製品の種類も多岐にわたっている。

 日本国内においてガラス製品の製作については,弥生時代から古墳時代に属する小玉や勾玉の鋳型が知られる。
 近年の発掘調査において,その出土例が増加すると伴に,その分布域は西日本だけでなく,現在の神奈川県や東京都・埼玉県など関東地域に出土例が多い傾向が見られる。

 一方,二酸化ケイ素(シリカ)などを原料として,ガラス自体を生産した痕跡は極めて少ない。つまり,ガラスそのものは国内で生産されているわけではなく,朝鮮半島や東南アジア地域を含む大陸で作られたガラス製品(破損品などリサイクル品を含む)が日本国内に持ち込まれたもので,それらを素材として国内で加工し,ガラス小玉を製作していたと考えられる。

 なお,国内でガラスそのものを生産していた痕跡としては,6世紀から7世紀に属する奈良県飛鳥池遺跡において,ガラス製作にかかわる工房跡が見つかり,取鍋(とりべ)や坩堝(るつぼ)などが出土している(図1)。

 本稿では,近年出土例が増加したガラス小玉の鋳型について,その構造的特徴からガラス小玉の製作方法を検討してみる。

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(図1)
ガラス小玉の製作に関る遺物
奈良飛鳥池遺跡出土遺物

2.ガラス小玉の鋳型
 ガラス小玉とは,いわゆるビーズ玉である。その大きさは,外径が4~5mmで,厚さが2~3㎜である。中心には紐通し穴があり,その直径は1~2㎜ほどである。その製作方法は様々な方法(鋳型・管きり方法・鉄芯巻き付け方法・連玉方法など)がある。

 本稿では鋳型を用いたガラス小玉の製作方法を取り上げる。その製作方法は土製の開放鋳型を用いて,小玉の原型となる型穴にガラスの粉粒を入れ,約800度以上の高温で溶かして作るものである。

 ガラス小玉の鋳型についてまとめた及川良彦(2)の成果によると,鋳型の分布は九州・畿内地域から関東地方までの24遺跡,総計60点が知られているとする。2013年に発掘調査が行われた埼玉県薬師堂東遺跡において,ガラス小玉の鋳型が110点出土したと報告される。先学が指摘するように,ガラス小玉の製作痕跡が関東地方に偏在する傾向が指摘できる。
 
 埼玉県薬師堂東遺跡は,ガラス小玉の生産工房跡とされ,見つかった鋳型の中には完全な形の鋳型(写真左)が認められる。この鋳型は土製で,直径14㎝,厚さ1㎝の円盤形をなし,円盤上にはガラス小玉161個分の型穴が開けられている。

 薬師堂東遺跡の出土例を参考に,各地のガラス小玉鋳型の特徴をまとめると,以下の点が挙げられる。
①鋳型は土製で,直径10~15㎝の円形もしくは方形と形は様々であるが,その厚さは1㎝程度である。
②鋳型上面には,ガラス小玉100個以上の型穴が設けられている。
③型穴の底面中央には,型穴を貫く細い穴が認められる。

3.ガラス小玉の製作方法
 鋳型を用いたガラス小玉の製作方法については,全国各地の博物館・考古資料館において,来館者を対象としたガラス小玉の製作体験講座も開催されている。先学の研究や復元実験など多数みられ,出土したガラス小玉とその鋳型の観察を通して,基本的には図2に示す製作方法が想定されている。その工程をまとめると以下の①~⑦が考えられる。

①ガラス粉粒を作る
 ガラスが飛び散るのを防ぐために皮袋などの中でガラス素材を砕く。さらに石鉢や石杵を用いて粉粒状になるまで細かく砕く。写真右は福島県矢吹町弘法山古墳群から出土したガラス小玉である。ガラス小玉の表面に砂粒が含まれているのが観察できる。鋳型に充てんするガラス粉粒に砂粒が混じり,そのまま溶け固まったのであろう。

②鋳型を作る
 鋳型は土製で,ガラス小玉の原型となる型穴と型穴の底面
中央に貫通孔を開ける。その後,鋳型を乾燥させて鋳型を焼成する。 図2-工程1・2

③鋳型に離型剤を塗布する
 離型剤は溶けたガラスが鋳型に溶着しないようにするため,鋳型からガラス小玉を取りやすくするために塗布される。離型剤は遺存していないため,具体的な材料は不明であるが,砥の粉などを水で溶いたものと考えられている。

④型穴にガラス粉粒と紐通し穴の原型となる芯材を入れる
 ガラス粉粒が溶けて,粒の隙間が埋まるように型穴から少しあふれるくらいに入れる。縦半分に割いた細い竹や茶杓状の道具を用いて,ガラス粉粒を型穴に入れたのであろう。
 芯材は発掘調査時には遺存していないため不明であるが,ウニのトゲや植物の茎など諸説見られる。図2-工程3・4

⑤鋳型を炉に入れ加熱する
 ガラスは約800度の高温で溶ける。ガラス小玉の断面形を観察すると,型穴に接しない小玉の上半部が扁平になる特徴が認められる。さらに,溶けたガラスの表面に炉内の灰などが付着しないように,鋳型を覆う蓋がある可能性がある。図2-工程5・6

⑥鋳型からガラス小玉を取り出す
 ガラス小玉が割れないように十分に冷えてから鋳型を炉から取り出す。一度の焼成で100個以上のガラス小玉ができることから,鋳型から取り出しやすくするためにも離型剤は欠かせない。針や細い棒の先をガラス小玉の紐通し穴に刺し込み,回すようにして鋳型から取り出すのであろう。図2-工程7

⑦ガラス小玉の洗浄や研磨
 ガラス小玉の表面に付着する離型剤や紐通し穴に残る芯材を落とし,はみ出たガラスバリを取り除くために洗浄・研磨の工程が想定される。鋳型から外したガラス小玉と研磨剤(粒子の細かい砂)を水の入った皮袋に入れて,振り動かして洗浄・研磨したのであろう。図2-工程8

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(図2)

ガラス小玉の製作方法

4.ガラス小玉鋳型の検討
 上記したガラス小玉の製作方法については,先学の研究でさまざまな議論・復元実験を経て,現在までにほぼ定説的見解といってもよいであろう。しかし,発掘調査による出土資料として遺存しないものを含むことから,いくつか細かい問題点が認められる。本稿では鋳型の特徴,型穴の底面中央に認められる細い貫通孔に着目し,その構造的役割を検討してみたい。

 型穴の貫通孔については,図2-工程3に示す通り,紐通し穴の原型となる芯材の固定を想定した見解が大半を占める。この点で(ア)芯材の設置方法と(イ)離型剤の塗布方法の2点が問題となる。

(ア)芯材の設置方法
 発掘調査において芯材の出土例がない。前述した埼玉県薬師堂東遺跡において,鋳型に入ったままのガラス小玉が出土しているが,芯材は遺存していない。先学が指摘するように,芯材は金属製の針金などではなく,ウニのトゲや植物の茎かはともかく,炉内で燃えて消滅しガラス小玉の完成までに遺物として残らないものとする見解の蓋然性が高い。

 そこで鋳型の型穴に開けられた貫通孔の構造に着目すると,貫通孔の直径は1㎜程度で,さらに貫通孔は鋳型裏面まで直径を変えることなく真っ直ぐに開けられる特徴がある。これは前記した芯材(ウニのトゲなど)の直径よりも細く,先端に向かって細く尖る形状とも異なっている。
 また,芯材を固定するだけならば,鋳型裏面まで貫通させる必要はなく,ガラス粉粒を型穴に充てんすることから,先端を尖らせた芯材が貫通孔に掛る程度に設置すれば,芯材の固定は十分であろう。

 長野県屋代条里遺跡から出土したガラス小玉鋳型では,貫通孔内に溶けたガラスが詰まっていたとする。この事例でも貫通孔全体に芯材を通していたとは考えにくい。なお,ガラス勾玉の鋳型では,紐通し穴部分に貫通孔は認められない。単に芯材の固定には,鋳型裏面まで貫通する必要はなく,型穴の貫通孔には別な機能が想定できる。

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(写真)ガラス小玉と鋳型

(イ)離型剤の塗布方法
 離型剤は溶けたガラスが鋳型に溶着しないようにするため,鋳型の表面に塗布するものである。前掲(2)によれば,文献資料の検討から墨を塗布したとする見解が示されているが,発掘調査で具体的な離型剤を推定するものは確認されていない。現在のガラス工芸では,砥の粉などを水で溶いたものを離型剤としている。

 ガラス小玉の製作過程には,鋳型に離型剤を塗布する工程が存在することは確実で,離型剤を型穴の表面に均質な厚さで塗布する必要がある。さらに鋳型には100個以上の型穴があり,一度の焼成でガラス小玉を大量に製作することを目的としている。離型剤の塗布工程にも,ある程度の効率性を求められる点も想像に難くない。

 そこで型穴の貫通孔に再度着目したい。(ア)で検討したように芯材が金属製の針金でなく,遺物としては残らないが,炉内で炭化してガラス小玉の完成までに紐通し穴を塞がないような素材である。つまり,芯材に離型剤を塗布する必要がないことが指摘できる。

 次に,離型剤の材質について,墨粉や砥の粉を水で溶いた液体で,比較的粘度があるものが想定される。その塗布方法は,ハケ塗りやドブ漬けが考えられるが,いずれの塗布方法においても,液状の離型剤を直径5㎜程度の小さな型穴に塗るには,液体である離型剤の表面張力によって型穴内に空気が残り,均質な状態で塗布することが困難である。

 このことから貫通孔の役割について,型穴内の空気を抜きつつ,離型剤を型穴内部に均質な厚さで塗布するために開けられたと考えられよう。具体的には,鋳型を液状の離型剤にくぐらせる。次に型穴を開けた鋳型上面に息を吹きかけることで,型穴内に閉じ込められた空気を抜くと同時に,余分な離型剤を吹き飛ばして型穴内部に薄く均質に塗布することが可能になる。 
 その後の工程には,離型剤を塗布した鋳型の乾燥→紐通し穴の原型となる芯材を設置しながらガラス粉粒の充填する工程が想定される。図2-工程3・4は同時に行われるのであろう。

5.まとめ
 本稿は,筆者が平成10年度に調査を担当した福島県矢吹町に所在する弘法山古墳群の横穴墓群から出土した610点のガラス小玉を観察し,ガラス小玉の製作方法を検討する機会を得たことに端を発している。ガラス小玉の鋳型についても,今日まで漠然と考えていたことを今回まとめてみたものである。
 ガラス小玉鋳型の型穴内の貫通孔については,紐通し穴の原型となる芯材を固定するためではなく,離型剤を均質な厚さで効率的に塗布することを目的としている可能性を指摘した。
 一方,発掘調査で出土例が見られない材料,特に芯材と離型剤の材料を特定できないため,本稿の内容もまだまだ仮説の域を出ていない。今後の調査事例や研究成果に注視していきたい。

最後に,本稿の執筆にあたり,本年度東京都埋蔵文化財センターから当財団に出向し,本県の復興事業関連の発掘調査指導に従事している及川良彦氏から関東地域のガラス小玉鋳型の類例について,多くの情報をご教示いただいた。記して謝辞を申し上げる。

<図版転載文献等>
図1:『飛鳥の工房』1994年 奈良国立文化財研究所飛鳥資料館
図2:「中里峽上遺跡」『東京都埋蔵文化財センター調査報告第256集』
2011年 東京都埋蔵文化財センター
写真左:埼玉県薬師堂東遺跡のガラス小玉鋳型
本庄市教育委員会ホームページより転載
写真右:福島県弘法山古墳群のガラス小玉
「弘法山古墳群」『あぶくま南道路遺跡発掘調査報告8』口絵6
福島県文化財調査報告第369集 1999年 福島県文化センター

<引用文献>
(1) 藤田 等「弥生時代ガラスの研究」1994年 名著出版
(2) 及川良彦「中里峽上遺跡」『東京都埋蔵文化財センター調査報告第256集』2011年 東京都埋蔵文化財センター