#005 糸を紡ぎ機を織る ―高木遺跡の出土品― 廣川紀子
◎これは、何でしょう?
これは何でしょう?
写真の資料は、遺跡調査課が実施した安達郡本宮町の高木遺跡の発掘調査によって発見されたものです。
ズバリ何でしょうか?
「ある道具の一部」、これがヒントです。
一枚の写真では、なかなか判断できませんね。
では、私が観察したことをお話しましょう。
それは、淡い緑色の石で作られています。
表面は丹念に磨かれており、触れるとつるつるしています。
手のひらに載る程度の大きさですが、適度な重みも感じられます。
また真上から見るとほぼ円形で、その中央には穴が開いています。
全体的には、円錐形の尖った部分をカットしたような円錐台形で、その直径は最大で約四.五センチ、厚さは約
二.六センチ、重さは八十グラム程度です。
◎答えは、ボウスイシャ
そうです。「糸を紡ぐ道具」の一部で、紡錘車と呼ばれています。
紡錘車の中央の穴に軸棒を差し込み、軸の先にカラムシの表皮などから採った繊維を絡めて回転させ、一定の強さで撚りをかけて糸にしていきます。
紡錘車とは、その重みを利用して回転させる弾み車のことです。
機織りの技術は、弥生時代に大陸から伝来したと考えられています。
したがって紡錘車も弥生時代以降の遺跡から発見されますが、形や材質は時代や地域によって様々です。
回転し易いように、円盤形や円錐台形のものが多く、土・石・木・骨・鉄など身近にあるいろいろな材料で作られています。
紡錘車の構造
高木遺跡の例のような厚みのある石製の円錐台形のものは、一般的には古墳時代の中・後期(五~七世紀頃)に使用されていたものです。
一方、鉄生産の技術が発達する平安時代以降になると、鉄製のものが普及するようです。
◎たくさんの紡錘車を発見
高木遺跡は、本宮町を流れる阿武隈川右岸地区に位置します。
当地区には、高木遺跡の他にも幾つかの遺跡があり、七世紀頃には大集落が営まれていました。
ここから七十点ほどの石製紡錘車が出土していますが、県内でも、これほどまとまって出土した例は他にありません。
石製紡錘車
(資料提供:まほろん)
石材を分析したところ、緑色片岩や千枚岩という、付近の川原からも採取できるものでした。
この石は比較的軟らかく、同じ方向に薄く剥がれる性質があり、紡錘車作りには大変適したものなのです。
◎こんなふうに製作します
当地区からは紡錘車の未完成品も出土しています。
それらを観察すると、
①荒割り(およその形に割る)→
②形割り(形を整える)→
③研磨(表面を磨く)→
④穿孔(中央に穴を開ける)
という製作工程を復元することができます。
紡錘車の製作工程
このように、これらの遺跡の人々は、加工し易い石を周辺から採集して紡錘車を製作し、それを使用して糸を紡ぎ、機を織っていたのでしょう。
【廣川紀子 2014.6.5掲載】(※2002年12月『考古■(金へんに曼)筆』の掲載記事。)