調査研究コラム

#004 日本文化誕生のころー世界のブランド品と東西のうどんだしー 門脇秀典

先日、とあるうどん屋で「関西だし」という天ぷらうどんを食べました。京都出身の私にとって、昆布風味の透き通っただしは懐かしい味わいでした。

 普通、福島でうどんを注文しますとカツオの風味がきいた濃い目のだしをはったうどんが出てきます。

 数年前、あるテレビ番組で「アホ・バカ文化圏」なる調査を行っておりました。こっけいな行動やしぐさに対し、アホと表現する西日本とバカと表現する東日本、その境界線は面自いことに天下分け目の関ヶ原あたりになるらしいのです。

 現代のうどんだしの違いや「アホ・バカ文化圏」のように、北陸・東海地方から北の地域と近畿から西の地域では、現代でも食文化や言葉などの違いがあります。

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道の駅土湯のかき揚げうどん

(福島市)

実はこの地域差、今から三万年前から一万三千年前の後期旧石器時代にはすでにあらわれているのです。

 この頃には、現代まで受け継がれるような日本列島の地域性が芽生え、その後の長い歴史を経て、日本文化の母体となっていったと考えられます。

 旧石器時代と呼ばれるこの時代は、地球上に氷河が発達し、最も寒冷だった時期には年間の平均気温が今より八度も低かったと言われています。

 これは今の気候で申しますと札幌と名古屋くらいの違いだそうです。また海水面は今より100メートル以上も低下し、ナウマンゾウやオオツノジカなどの大型獣が大陸から渡ってきました。

 旧石器人は、これらの大型獣を捕らえて食べるために石器と呼ばれる石の道具を用いていたと考えられます。

 当時の人々は、山や河原から手頃な大きさの割りやすい石を見つけてきては、巧みに打ち欠いて石器を作り出していました。

 この石の割り方にはいくつかの流儀のようなものがありました。これを「剥離技術(はくりぎじゅつ)」と呼んでいます。

 この剥離技術が旧石器時代の東日本と西日本ではまったく違うのです。面白いことにこの境界線も現在の東西を分ける関ヶ原あたりにあると考えられます。

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石刃技法(左)と瀬戸内技法(右)

東日本には、縦に長い石の破片を連続して打ち欠いて、いろいろな石器に仕上げていく技術が発達しました。これを「石刃技法(せきじんぎほう)」と呼んでいます。

 この石刃技法、実は当時の世界のブランド商品とみられ、今から約三万五千年前から一万二千年くらい前の期間にアフリカ・中近東・ヨーロッパ・シベリア・中国北部・朝鮮半島と広く流行した剥離技術です。

 この技術を日本に取り入れ、日本流にアレンジしたのが、当時の東北地方の人々ではなかったかと考えていま
す。

 もしかしたら、現代におけるヴィトンのバックのごとく、世界のブランド品を持っていることが、当時の東北人の誇りだったのかもしれません。

一方、近畿・瀬戸内地方を申心とした西日本では、横長の石の破片を連続的に生産する「瀬戸内技法(せとうちぎほう)」と呼ばれる石刃技法とはまったく違った剥離技術が発達します。

 この技法は、周辺大陸の資料を見わたしても、同じようなものは見つかっていません。したがって西日本で独自
に考案された技法のようです。

 もしかしたらこの瀬戸内技法には特許のようなものがあって、技術が特定の人々の間で親から子へと以心伝心されたかもしれません。

 このような東日本と西日本の地域差の背景には、旧石器時代の環境が影響していたのではないかと考えられています。

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丸亀製麺(讃岐系)のかけうどん

(福島市)

当時の東北地方南部や中部地方は、トウヒやチョウセンゴヨウなどの針葉樹の森が、関東地方には草原が広がっていたと見られます。

 一方、西日本にはナラやシラカバなどの落葉広葉樹の森や草原が広がっていたと推定されています。

 旧石器時代における東と西の文化的な違いは、それぞれに異なる環境に適応するために人々が努力をした結果、生まれたものだと思います。

 関ヶ原あたりで東西の石器職人が集まって、石器のコンテストを開いていたかもしれませんね。

【門脇秀典 2014.5.21掲載】(※2001年6月『考古■(金へんに曼)筆』の掲載記事。)