赤坂D遺跡
- 調査期間
- 令和2年4月~
- 場所
- 双葉郡浪江町大字棚塩赤坂
- 該当時代
- 奈良・平安時代
- 調査原因
- 県道広野小高線の整備
所在地:双葉郡浪江町大字棚塩字赤坂
調査期間:令和2年4月~6月
調査原因:県道広野小高線(浪江工区)整備事業に伴う発掘調査
赤坂D遺跡は、請戸川北方の丘陵上に立地します。昨年度の調査では、沢に面した西向き斜面から古墳~奈良時代の瓦窯跡・須恵器窯跡・木炭窯跡・製鉄炉跡廃滓場が近接して検出されました。
今年度は、昨年度からの継続で遺跡北側を調査しています。
5月
遺構検出作業を行ったところ、斜面から木炭窯跡の大きな落ち込みが検出されました。
写真1 斜面から検出した木炭窯跡の落ち込み(黒い部分)
5月13日
地面を約1m掘り下げたところ、木炭窯跡の赤く焼けた壁を検出しました。
この後、この赤く焼けた壁の内側を掘っていきます。
写真1 木炭窯跡の赤く焼けた壁を検出
6月
6月1日
木炭窯跡の中の土をすべて掘り上げたところ、木炭の炭素分を吸って黒くなった底面と焼けて硬くなった壁が見つかり、奥壁の上部からは煙突の痕跡も見つかりました。(写真2)
また、今年調査した木炭窯跡は昨年度調査した2基の木炭窯跡と並列し、作業場も共有していることがわかりました。写真1は左から12号木炭窯跡・9号木炭窯跡・8号木炭窯跡です。
写真1 3基の木炭窯跡が並んでいる。
写真2 煙突の痕跡
7月
7月22日
現地における調査は6月いっぱいで終了しました。
7月に入り、福島市の山下分庁舎において、昨年度の調査で出土した瓦の接合作業を行っています(写真1)。
写真1 瓦の接合作業の様子
10月
10月28日
10月に入り、須恵器の接合作業及び瓦や土器の拓本採りを行っています。
写真1 須恵器大甕の接合作業の様子
これらの破片は、1号須恵器窯跡(写真2)から出土しました。
手前の物と向こう側の物で色が違うので、大甕は2個体ありそうです。
写真2 1号須恵器窯跡須恵器出土状況(令和元年12月17日撮影)
写真3 瓦や土器の拓本採りの様子
手前の瓦は10号木炭窯跡(写真4)から出土した軒丸瓦です。
写真4 10号木炭窯跡瓦出土状況(令和2年1月16日撮影)
12月24日
須恵器の接合作業が終了し、窯跡から出土した須恵器の破片は2個の大型甕に復元されました。どちらも、高さが55㎝で、幅は80㎝です。
写真1 復元された須恵器大甕1号
口から首の部分が不明ですが、大きな胴体です。接合できる破片がない部分には石膏を埋めて補強しています。
写真2 復元された須恵器大甕2号
こちらも口から首の部分が不明ですが、大きな胴体です。
2月
2月1日
1月29・30日に浪江町の道の駅なみえで開催を予定していた「赤坂D遺跡等出土遺物一般公開」が新型コロナウイルス感染症拡大の影響により延期になりました。
今回は、展示予定であった赤坂D遺跡出土遺物のラインナップを紹介します。
写真1 古墳時代終末期~奈良時代の軒丸瓦(上)と軒平瓦(下)
瓦葺きの寺院か役所の屋根の軒先を飾るために葺かれた瓦。
写真2 古墳時代終末期~奈良時代の平瓦
断面がゆるい弧状をなす長方形の瓦。凹面を上に向けて縦に平行に並べ、境目に丸瓦をかぶせて葺きます。
写真3 古墳時代終末期~奈良時代の丸瓦
断面の丸みが強い瓦。屋根に並べた平瓦の左右に伏せて、凸面を上に向けて葺きます。
写真4 古墳時代終末期~奈良時代の須恵器
左のカップ型の須恵器は当時の計量升と推測され、水が2合(360ml)入ります。中央は首の長い壺、右は胴の一部に丸い孔が開けられた𤭯(はそう)です。
写真5 福島県内における初期段階の鉄作りにおける鉄滓
古代陸奥国(福島県)では粘土で作った炉の中で火を燃やし、その中に砂鉄と木炭を交互に入れて鉄を作りました。
鉄作りの際に、砂鉄に含まれる鉄とそれ以外の不純物は分離されます。鉄滓はその不純物の集まり(滓)です。重いです( ´∀` )
2月5日
瓦の拓本採りが終了したので、拓本のチェックとパソコンに取り込む作業、断面実測を開始しました。
写真1 瓦の拓本のチェック
上下の確認や色具合を見ています。
写真2 拓本をパソコンに取り込み
写真3 平瓦の断面図作成
写真4 丸瓦の断面図作成