令和2年度発掘調査情報

栗林遺跡くりばやしいせき

調査終了
調査期間
令和2年4月~11月
場所
南会津郡下郷町大字中妻和田前
該当時代
縄文時代中期~後期
調査原因
会津縦貫南道路の建設

栗林遺跡は下郷町役場の北東約2kmに位置し、阿賀川右岸の河岸段丘上に立地します。昨年の調査では縄文時代中期中葉から後期初頭(4,5004,000年前)にかけての集落跡が確認されました。今年度も引き続き調査を行っていきます。

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今年度の調査が開始されました。


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写真1 発掘調査風景

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写真2 貯蔵穴の中から土器が出土したところ

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写真3 石棒が出土したところ

7月

 県道西側の調査が終了しました(写真1)。北端に縄文時代中期集落跡の一部が広がり、埋設土器(写真2)、土坑(写真3)などが見つかっています。今後は県道を迂回路に切り替えて道路下の調査を進める予定です。

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写真1

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写真2

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写真3

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栗林遺跡の今年度調査は、県道迂回路工事のため9月中旬まで一時中断していましたが、迂回路完成を経て9月23日から現道下調査区の掘削を開始しました(写真1)。
表土除去後、遺構検出を進めると、予想通り縄文時代中期を主体とする時期の遺構が濃密に分布している状態が見えてきました(写真2)。直径4~5mほどの竪穴住居跡、径1m位の土坑に加えて、埋設土器や石囲炉もいくつか確認できます。
10月はこれらの精査に取りかかります。

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(写真1)

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(写真2)

10月の栗林遺跡は住居跡、土坑、埋設土器、炉跡などの精査で忙しい日々が続いています(写真1・2)。

今回は見つかった遺構の一部をご紹介します。

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写真1

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写真2

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写真3

 縄文時代中期後葉に多く作られた「複式炉」です。土器埋設部と石組部で構成されています。写真右側の石は一部が後から取り除かれたらしく、形が崩れています。

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写真4

 細長い石で組まれた石囲炉の周りに、薄い板状の石が敷きつめられています。「敷石住居」と呼ばれ、関東、中部地方に多く分布する形状の住居跡です。栗林遺跡ではこれまでも複数の敷石住居が見つかっており、分水嶺を越えた交流が盛んだったことを物語っています。

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写真5

 古い竪穴住居が埋没した後に、新たに小さい穴を掘って土器を逆さまに埋めた「埋設土器」が見つかりました。縄文時代中期末の大木10式に多用されるS字状の文様が目を引きます。この土器の内部を確認したのが次の写真。

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写真6

 土器内部には土の他に、茶色く細かい枯れ枝のようなものが入っていました(中央の線で囲った部分)。人骨の可能性があると考え、内部の土を回収し福島市に持ち帰って調べています。

11月

栗林遺跡の今年度調査は終盤にさしかかり、各種遺構の精査を全力で進めています(写真1)。

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(写真1)

 こうした中で見つかった縄文時代中期後葉の竪穴住居跡に、非常に興味深い炉が設けられていました。写真2は直径5m余りの住居跡全景、炉の拡大写真が写真3です。

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(写真2)

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(写真3)

 整った形の「複式炉」ですが、写真右下と左下の隅に置かれた石が非常に特徴的です。この部分を拡大したのが写真4。大型の石棒が角に立てられていました。炉を作る際に呪術的な意味を込めて石棒を用いたものと考えられます。

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(写真4)

 また、炉の先端に埋められた土器は二重になっていました。最初に穴の底部に土器破片を敷きつめ、その上に大型の土器を埋め、さらにその内側に一回り小さな土器を入れ子にして設置しています(写真5)。これも手の込んだ珍しい埋設方法です。

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(写真5)


2月

昨年の11月に栗林遺跡の今年度の外作業を終えて、現在は室内整理作業に取り組んでいます。今回はその様子を一挙ご紹介!

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現場で洗いきれなかった土器や石器が大量に残っているため、事務所の流しを使って水洗を進めています。洗う前に気づかなかった特徴を初めて発見できる場面なのでおろそかにはできません。

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こちらは土器の組み立て作業をしているところ。模様や形を手がかりにバラバラになった破片を、パズルよろしく元の形に組み合わせていきます。

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大きい土器は復元も大変! 欠けているところはキューテックスという補修材料を使って補っていきます。

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一つの穴からまとまって出土した土器の復元にめどがつきました。並べてみるとけっこうな迫力ですね。縄文時代中期中頃、今から約5千年ほど前のもので、奇抜なデザインが目を引きます。

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土器の模様を記録するために拓本を取っているところです。土器の表面に画仙紙を濡らして貼り付け、乾いたところで上から墨を打つと、盛り上がった部分が黒く浮かび上がります。

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拓本は土器の模様をぐるっと1周させて見渡すことができます。この土器は一見、規則的

に同じ図形を繰り返しているようですが、よく見るとおかしな所があります。どこが変なのかわかりますか?

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上の展開拓本をとった土器です。こうして見ると普通なのですが…

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こちらでは最新鋭の3D測定機を使って、複雑な形状の土器の図面を作成しています。レーザー光線で表面の凹凸を記録するので、従来の定規で測っていた方法よりも正確に早く実測を進めることが可能になりました。

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パソコンに取り込んだデータを調整して2次元の平面図画像を作っています。

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ただ、高性能なマシンを複数そろえることは難しく、以前と同じ手で測る方法も続けています。何日も続けると肩こりがひどくなって磁気ネックレスがほしくなるとのことです。

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このように細かな図面を手早く仕上げるのはけっこう大変です。午後には目がしょぼしょぼ…

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パソコン2台を駆使している調査員。証券マンみたいですね。遺構の写真を確認しながら報告書用の粗原稿や表を作っているところです。

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天井に届きそうなくらい遺物が入った箱が積み上がっていますが、これでも全体のほんの一部にすぎません。整理スペースの大半が土器に占拠されてしまいました。

栗林遺跡の報告書を作成する室内整理作業は基本的な図面作りに入ったところで、

まだまだ忍耐と努力、精進の日々が続きます!