中妻新田遺跡
- 調査期間
- 令和3年4月~12月
- 場所
- 南会津郡下郷町大字中妻新田
- 該当時代
- 縄文時代
- 調査原因
- 会津縦貫南道路の建設
中妻新田遺跡は、下郷町役場の東約0.8㎞の中妻地区南端に位置する遺跡です。阿賀川の支流で、甲子岳の北麓から西方へ流れ下る観音川が形成した河岸段丘上に立地しています。発掘調査は、9月下旬から11月上旬に行いました。
写真1 遺跡の位置
中妻地区を南東から撮影した写真です。右手前を蛇行して流れているのが観音川で、20m前後の深い渓谷を形成しています。画面中央やや右側、崖の上の木が切られて黄色い地面が露出している場所が中妻新田遺跡です。画面中央上側の家が密集する部分が中妻集落で、この集落のはずれに栗林遺跡があります。中妻集落の左側に阿賀川が北流しており、写真左上に大戸岳、右上に二岐山が見えています。
写真2 調査区
調査区を西北から撮影した写真です。崖上の平坦な地形で、ところどころに直径10~30㎝程度の小礫や2mを超える大石が露出しています。遺構は、礫の無い部分で見つかりました。
写真3 土坑
調査区北東部を中心に土坑や焼土遺構、複数の小穴がみつかりました。写真の土坑(1号土坑)からは、縄文時代前期後葉の土器が出土しました。
写真4 調査風景
調査区南部には、沢跡と考えられる細長い窪地があり、縄文時代早期〜前期にかけて複数の時期の土器片が出土しました。写真はその沢跡の掘削状況です。
写真5 沢跡全景
沢跡を北西から見たところ。沢跡は調査区西南部で観音川へと落ち込んでおり、ほぼ東西方向にのびている。沢跡の西側は巨大な岩盤が露出し、岩盤と土との境目から水が沁み出してきました。
写真6 縄文時代早期の土器
沢跡の堆積土は3層に分かれており、上部の1・2層には、縄文時代前期後葉に噴火した沼沢火山の軽石が含まれていましたが、下部の3層には沼沢火山の軽石は含まれていませんでした。
縄文時代早期の土器は、主にこの3層から出土しています。特に写真左上の小片は、縄文時代早期前葉の関東地方を中心に作られていた撚糸文土器(約10,000年前)の特徴をもつもので、下郷町で確認されている土器の中では最も古いものです。
写真7 縄文時代前期前葉の土器
写真は、沢跡南側で検出した土器が集中して出土した状況です。崖際の礫が露出する場所で見つかりました。土器は縄文時代前期前葉(約6,500年前)の深鉢で、全体の4割程度の破片を回収しました。復元すると口径40㎝、高さ60㎝程の大きさになりそうです。周辺に掘り込みは確認できず、面的な出土状況でもないため、打ち捨てられた土器片が木根や動物などの作用により直径1メートル程度範囲に散らばったものと考えられます。
中妻新田遺跡では、性格や時期が明瞭な遺構が検出されませんでしたが、縄文時代早期前葉~前期後葉にかけての複数の時期の土器片や石器類が出土していることから断続的に人が訪れていたことは確実です。まだ定住を始める前、観音川沿いを移動して生活をしていた人々の絶好の野営地だったのかもしれません。