高津戸館跡
調査終了
- 調査期間
- 令和3年7月~11月
- 場所
- 双葉郡富岡町大字上手岡字高津戸地内
- 該当時代
- 中世
- 調査原因
- 主要地方道小野富岡線(高津戸工区)の整備
今回の調査対象地は、高津戸館跡南西部の一画です。同南西部では、東方向に延びる土塁・堀などの遺構を現況で観察することができます。なお。調査対象地の南側約100mの地点を小野富岡線が通過していますが、同道路と土塁・堀の延伸方向は概ね平行しています。
土塁は、堀の両岸に堀掘削土を盛り上げて構築しています。土塁の標高は北側の方が約1.2m高く、このことから南方を意識した防御施設と考えられます。土塁の造りは、質の異なる土・粘土を交互に積み重ねています。
堀は、底が平坦になっており、「箱薬研」と呼ばれる形状のものです。北側の土塁の頂部から堀の底までの深さは約4mです。一方、南側の土塁頂部からの深さは約2.8mです。
土塁・堀の時期については、出土遺物がなく不明ですが、土塁の造りが比較的丁寧であることや、福島県内の事例などから戦国時代末期以降の可能性があります。
写真1 土塁の標高は、南側よりも北側の方が高くなっています。堀の底は、平坦です。
写真2 北側土塁(東部)の断面です。旧表土の上に、斜め方向に土が盛られている様子がわかります。
写真3 黄色と黒色の土が斜めの互層になっています。下の水平の層は自然堆積層です。