谷地遺跡
- 調査期間
- 10月~11月
- 場所
- 双葉郡浪江町大字西台字谷地
- 該当時代
- 弥生時代・古代
- 調査原因
- 県道浪江鹿島線関連事業に伴う発掘調査
12月の様子
谷地遺跡の発掘調査が終了しました。
10月からはじまった谷地遺跡の発掘調査が12月をもって終了しました。
調査の結果、奈良時代とみられる竪穴住居跡4軒、土坑2基、溝跡2条、小穴7基を確認しました。遺物では、弥生時代の土器・石器、奈良時代の土師器・須恵器、江戸時代の陶器・銭貨などが出土しました。
ここでは谷地遺跡の調査成果のうち、主要なものを取り上げてご紹介したいと思います。
弥生時代では、遺構は確認できませんでしたが、中期の中葉と後葉の土器と共に石鏃や、石製土掘具、磨石など石器が多数出土しています。浪江町史には弥生土器の採集地として西台の地名が記されており、弥生時代において西台付近の丘陵頂部が生活の場であったことがうかがわれます。
写真1出土した弥生土器
写真2 出土した石器(左から石鏃、土掘具、磨石)
奈良時代の住居跡は調査区の西端部と東端部に分布しています。調査区西端では、3軒の住居跡が重複してみつかっています。1号住居跡は、深さが80㎝程で、深い掘り込みを持つのが特徴です。調査区の西端では1軒の住居跡がみつかっています。4号住居跡は平面形が方形を基調としていたとみられ、一辺の長さは5mほどありました。
浪江町内では、棚塩丘陵上で鹿屋敷遺跡や植畑遺跡、弥平廹遺跡といった奈良時代の集落跡が多く確認されており、西台地区の丘陵頂部でも同様に集落が形成されたことが明らかになりました。
写真3 1号住居跡
写真4 4号住居跡
10月の様子
発掘調査が始まりました。遺跡は請戸川の浸食により形成された丘陵の頂上に立地しており、南東側1.4㎞には道の駅なみえが位置しています。遺跡は試掘の結果から、弥生時代、奈良・平安時代のものと想定されています。
10月中旬から重機による表土の除去を行い、下旬には作業員さんによる遺構の検出を開始しました。移植ベラや箕を使って丁寧に土を掘り下げて、遺構をみつけていきます。
写真1 発掘調査の様子