まほろんQ&Aコーナー(旧石器・縄文時代の詳細回答)

 縄文時代の家の床(ゆか)は土のままだったのですか?

 縄文時代の家の床にどんなものを敷いていたのかについては、これまで行われた発掘調査(はっくつちょうさ)でもわかっていません。
 また、復元した竪穴住居を使った実験によると、床に敷物(しきもの)を敷いても地面から出てくる湿気(しっけ)で一晩で敷物が湿った状態になることがわかっています。
 そこで、縄文時代の人たちは、地面から出てくる湿気を防ぐために、竪穴住居の床に直接敷物が接しない工夫(くふう)をしていたと考えられます。
  半分に割った丸太を、平らな面を下にして床に敷き、その上に敷物を敷けば、敷物が直接地面に接することはないため、地面からの湿気をすこしでも防いだのではないでしょうか。敷物として考えられるものには、網代(あじろ)、アンギン編(あ)みの布、毛皮などがあります。網代は、竹を細長く割ったものや、木の皮を細長く裂いたものを、かごを編む要領で縦横に編んで作るものです。縄文土器の底には網代と同じ凸凹がみられるものがあり、このような敷物の上で縄文土器を作っていたことがわかります。


アンギン台

 縄文時代の遺跡から布が発見されることがあり、縄文時代にも布を編んでいたことがわかっています。縄文時代の遺跡から発見される布は、現在の新潟県地方で古くから作られている「越後アンギン(編布)」にとてもよく似ていることから、縄文時代の布を編む方法を「アンギン編み」と呼んでいます。カラムシや麻(あさ)などの植物からとった繊維に撚(よ)りかけて糸を作ったり、木の皮を裂(さ)いたものに撚(よ)りをかけて太い糸を作ったりして布を編んでいたようです。
 毛皮は、食料にするために動物をとれば必ず手に入るものですから、前にも書いたように、敷物としても使っていたと考えられます。竪穴住居の床には、このような材料を使った敷物が敷いてあったのではないかと考えられます。
 また、宮城県石巻市の楠本政助さんは、縄文時代の竪穴住居には中二階が作られていたのではないかという説を出しています。復元した竪穴住居(たてあなじゅうきょ)を使った実験では、炉におき火があれば、外の気温が−5度の時、床の近くは−3度ですが、中二階の部分の温度は13度あったようで、湿気もないことから、現代人でも快適に生活できるそうです。縄文時代のすべての家に中二階があったのかどうかについては、まだ分かっていませんが、興味深い説です。まほろんの野外展示で復元されている縄文時代の住居は、楠本さんの説を参考にして中二階を作っています。
→一般回答へ

→質問一覧に戻る