51 弥生時代の祭りについて教えてください。
【鬼道(きどう)】
魏志倭人伝(ぎしわじんでん)の中で、女王卑弥呼(ひみこ)が「鬼道につかえ、よく衆を惑わす」という一文があります。ここでいう鬼道とは、シャーマンによる精霊や霊魂が乗り移った状態で超常現象を起こしたり、病気を治したりすることと考えられています。
この人物の様子については、鳥の姿をした人ではないかとの考えが出されています。両手を高くあげて、両袖(りょうそで)に鳥の羽のようなものが付いていたのでしょうか。おそらく、このような姿で、おどり、神のお告げのようなものをしたものと思われます。
【銅鐸(どうたく)】
弥生時代の祭りの道具として、最も一般的なのが銅鐸です。当初、銅鐸はつり下げて鳴らすものでしたが、後に大きさが大きくなり、鳴らす道具から見る道具に変化します。銅鐸を使っての祭りがどのようなものであったのかはわかっていません。
ただ、銅鐸には、様々な絵が描かれています。トンボ・カマキリ・トカゲ・カエル・カメ・サカナ・サギ?・シカ・イノシシなどの昆虫や動物のほか、臼(うす)と杵(きね)を使って脱穀(だっこく)する人、弓矢を持って狩りをする人などです。これらの絵からは、弥生人たちの祭りは、春夏秋冬の四季ごとにあったのではないかと考えられています(春;カエル、夏;トンボ、秋;脱穀、冬;狩りなどが想定できます)。
春…米を作るための田起こし、種まき、田植えなどの際に、米がよく実るための祭りがあったと思われます。東南アジアでは、種まきの時に、鶏や豚などを生けにえとして神にささげる祭りがあります。事実、佐賀県の遺跡では、ブタ(イノシシ)の下あごの骨が水田の畦の下から並んで見つかったり、同様のことが奈良県の遺跡でも確認されています。
夏…米の生長をさまたげる害虫の駆除(くじょ)を祈って行われる虫追い祭りや、雨乞(あまごい)い祭りなどが考えられます。
秋…米の収穫の季節であるので、最も大事な収穫祭が行われたものと思われます。収穫した米を神や先祖の霊にささげ、その米で作ったご飯を食べ、お酒を飲んで、舞い歌ってお祝いしたものと思われます。
冬…最も日が短くなる冬至の日、太陽の復活を願って祝うお祭りは、世界各地に見られます。みなさんがよく知っているクリスマスも、復活祭の一種とキリストの生誕が 合わさったものです。
これらの祭りや鬼道についても、東北地方でも行われていたかどうかは、わかっていません。弥生時代の東北地方では、青銅製品がほとんど見られないため、青銅製の道具を使っての祭りは行わなれなかったと思われます。ただ、これにかわる何らかの道具を使っての祭りは行われたものと思われます。
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