中・上流域に花開いた縄文文化

1 大倉地区の縄文文化
 
 真野ダムの建設にともなって、飯舘村大倉地区では23ヶ所の縄文時代の遺跡が調査されました。調査された時期は早期から晩期までで、草創期を除いてほぼ満遍なく集落の跡がみつかっています。
 発掘調査でみつかった竪穴住居跡の数は、合計すると405軒にものぼります。大きな集落では竪穴住居にまじって、倉庫のような建物跡や貯蔵穴もみつかっています。
 また、生活に使われた土器や石器などの数多くの遺物の他に、土偶や石棒などの祭りに使った道具も見つかっています。また、これらの遺物に混じってドングリなどの木の実やシカやイノシシなどの獣骨もみつかっています。
 大倉地区は、阿武隈高地の森がもたらす豊かなめぐみと、真野川がもたらす淡水魚やサケをはじめとした漁業資源にめぐまれた地域であり、そのような自然環境の下、豊かな縄文文化が培われていったと思われます。 

2 様々な建造物
 
 縄文時代の建物跡は、竪穴住居跡が基本となっていますが、その形は時期によって様々な変遷をたどります。
 古い時期(早・前期)の竪穴住居は、四角い形に地面を掘りくぼめ、中央に炉があり、壁の近くに柱がならぶタイプの住居となっています。
 中期の終わり頃には、円形の掘方の中に石で囲まれた立派な複式炉と呼ばれる炉が構築され、柱も3〜5本のしっかりしたものが、住居の中央付近に建てられるようになります。この時期と後期のはじめ頃には平らな河原石を敷きつめた住居も作られるようになります。後期以降になると簡易な石囲炉を使った円形の竪穴住居が主流となります。
 この他に、地域の中心となる大きな集落跡と考えられる日向南遺跡(中期〜後期)などからは、太い柱のみの建造物もみつかっています、ひょっとしたら青森県三内丸山遺跡を象徴する大型掘立柱建物のような建造物だったかも知れません。

 
四角い竪穴住居(羽白C遺跡:早期)   石の敷かれた竪穴住居(宮内A遺跡:中期)
 
石囲炉のある丸い竪穴住居(羽白C遺跡:後期)   大きい柱穴の建物跡(日向南遺跡)

3 縄文の祈りと祭り
 

祭祀具の入った穴(稲荷塚B遺跡)

 縄文時代の遺跡からは、土器や石器などの日常の生活に使用していた道具の他に、この時代の祈りや祭りなどに関係すると思われるものもみつかっています。
 土偶は、その形態から女性を象徴する土製品で、様々な部位が壊された状態で見つかっています。豊かな恵みに対する祈りや出産時の安全に対する祈りなどに利用されたものかも知れません。
 石棒は、男性器の象徴で、現在でも豊穣を示すシンボルとして用いられています。自然の恵みに依存した暮らしの中では、天候による木の実の出来不出来は生存に関わる死活問題となってきます。石刀などの他の祭祀具とともに、森の精霊に対して豊穣を祈願したり、あるいは医学の発達していない時代の病気治癒のための祈願などに使われたていたものと思われます。

4 祭祀具の入った穴
 
 稲荷塚B遺跡からは、石で作った刀(石刀)が刺さった状態の穴がみつかっています。石刀は、祭祀に使われたと考えられる道具で、ここでは石刀を使ったなんらかのお祭りが行われ、最終的にそれを突き立てたように埋めたものと思われます。
 祈りに関係する土偶などは、破壊された後、当時の捨て場に遺棄されたと思われ、そのような場所で多くみつかっています。

◎ 展示遺物一覧

羽白C遺跡 遺跡DB 遺物DB 遺物写真DB 写真DB
岩下A遺跡 
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日向南遺跡 
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上ノ台A遺跡 
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宮内A遺跡 
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稲荷塚B遺跡 
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