56 争いが起きたら、どのようにして戦ったの?
大勢の人たちが徒党を組んで争いをするようになったのは、弥生時代の頃からといわれています。米作りを始めると、土地や財産をもつようになり、それらをめぐって争うようになったと考えられています。
弥生時代のお墓から、争いで亡くなったと思われる人の骨もみつかっており、その傷をみるといろいろな戦い方があったようです。
矢じりの刺さった人骨が出土していることからも、弥生時代には「弓矢」が武器としても使われていたと考えられます。
弓矢は、縄文時代には狩猟の道具として使われていました。しかし、弥生時代の矢じりは、縄文時代の矢じりにくらべて、次第に重く、大きくなりました。また、石製の他、青銅製や鉄製のものも作られました。特に争いのさかんだった西日本では、狩猟用に比べて殺傷能力が高い矢じりを作り始めています。