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<炉構築のようす(羽口の設置)>

 これにより、復元炉の大きさは、最大で幅90p、長さ240p、高さ120pとなりました。炉壁の厚さは、最も厚い炉の底で40p、炉の頂部で15pになりました。
 実際に構築してみると、炉の下の方では30pを超える厚さがないと、大きな炉のため、粘土の重さで炉が倒れてしまいます。明治30年代の記録が非常に正確であったことを感じました。
 これ以外の送風装置や、原料である砂鉄、燃料である木炭、炉を構成する粘土などは、前回と同様のもの(砂鉄は阿武隈川の支流隈戸川のもの、燃料は岩手県産の松炭、粘土は福島県南相馬市(旧鹿島町)のものと白河市(旧大信村)のもの)を使用しました。
 また、送風する土管である羽口の挿入角度は、前回よりやや浅い30°としました。

 
<砂鉄選別作業のようす>
 右上の写真に示したように、砂鉄の選別作業や、羽口づくりなどの作業は、多くの来館者のみなさまにも体験していただきました。砂鉄の選別作業は、砂鉄と砂を水流を使って比重選別を行う「かんな流し」を行いました。丁度、夏の暑い時期に実施したので、大変好評でした。
 その後、炉を構築する作業場の乾燥や、炉の下部部分の構築、送風装置の設置、炉の構築などの作業を経て、日本で初めての、踏みふいごによる平安時代の原寸大製鉄炉の操業は、11月5日午前11時48分より始まりました。操業のようすについては、次号でお話ししますので、ご期待ください。
 春のてんじ案内
<法正尻遺跡出土の縄文土器>

サリー類などを展示します。また、縄文時代から平安時代までの長きにわたり、狩りなどの時の仮のねぐらとして使われた西会津町塩喰岩陰遺跡の調査など、考古学を理解するうえで貴重な成果も、わかりやすくご紹介します。
私たちは一見して、縄文土器の複雑な文様、繊細な石器の造形だけに目を奪われがちです。しかし、それらの資料を詳細に観察すると、当時の暮らしぶりや、人とモノの交流のようすなどが、おぼろげに見えてきます。
「会津」という名の由来として、畿内より地方の支配のために東海と北陸に遣わされた将軍が行き会った土地を、「相津」と名づけたという伝承があります。この伝承の真偽はともかくとして、この伝承以前である原始の暮らしにおいても、会津地方は人やモノ、そして近隣の文化が行き交う接点となる場所であったようです。考古資料から描く、新しい豊かな陸奥国風土記の世界に、ぜひ足をお運びください。

   新編陸奥国風土記 巻之五
−会津郡・耶麻郡その1−
会期:平成18年3月11日(土)〜5月14日(日)
会場:まほろん特別展示室
観覧料:無料
 古代の国内各地の地誌を記した書物としては、奈良時代に編纂されたといわれる『風土記』が大変有名ですが、当時「陸奥国(むつのくに)」と呼ばれていた東北地方についての風土記は残されていません。そこで、まほろんに収蔵されている考古資料から当時の陸奥国の姿を復元し、新たな風土記の世界を記そうと始まったのが、まほろん春のてんじ『新編陸奥国風土記』です。このシリーズでは、古代の「郡(こおり)」ごとに展示を行ってきましたが、今回はその巻之五として「会津郡・耶麻郡」をテーマとしました。当地域については、磐越自動車道発掘調査に関する膨大な量の資料がまほろんに収蔵されています。そのため、展示も前半と後半の2回に分け、今回は前半として古代陸奥国成立以前の、原始の時代の会津地方をご紹介します。
今回の展示では、縄文時代の大きなムラである磐梯町法正尻遺跡の見事な縄文土器や、弥生時代中期のお墓の跡である会津若松市一ノ堰B遺跡から出土した弥生土器やアクセ

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