28 弥生時代に、どうしてお米作りが伝えられたのですか?
米の種類には大きく分けて、「インディカ種」と「ジャポニカ種」という2種類のものがあります。インディカ種は、現在のインドや東南アジアの人たちが食べている細長い粒のお米で、ジャポニカ種は現在の私たちが食べている粒に丸みのあるお米です。
ジャポニカ種は、現在のところ中国の長江下流域(ちょうこうかりゅういき)や朝鮮半島の南部の遺跡から発見されていることから、日本に伝わったお米は中国の長江のあたりから直接九州に運ばれたか、中国の長江のあたりから朝鮮半島を経由して九州に伝わったのではないかと考えられています。
日本が弥生時代に入るころの中国は、小さな国に分かれて、お互いに戦争をしていた「春秋・戦国時代(しゅんじゅう・せんごくじだい)」と呼ばれる時代で、その中から「秦(しん)」という国が周囲の国々を破りながら中国を統一していきました。
日本のお米のルーツが中国にあることや、このころの中国は戦争が絶えない時代であったことから、戦乱を逃れた人たちが船で海に逃げ出し、日本にたどり着いて、お米を伝えたのかもしれません。あるいは、朝鮮半島の人たちが船に乗って、新しく住む場所を求めて日本に渡ってきたのかもしれません。